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川原佑(RCCAメンバー)「レフリーの目線、他競技からの目線」
〜コミュニティの背景がわかる、RCCAメンバーのストーリー〜
2023.1.12
INTERVIEW

川原佑(かわはら・たすく)
1992年生まれ、29歳。日本ラグビー協会A級レフリー。2021年リーグワンでは準決勝を担当。2019年ワールドカップ日本大会ではリザーブアシスタント・レフリーを務めたトップレフリー。テストマッチの笛も吹く。5歳からラグビーを始めて高校3年までプレー(長崎中央ラグビースクール→長崎ラグビースクール→長崎南山高校)。明治大学 入学後にレフリーのキャリアを歩み始め、学生時代に花園2回戦の笛を吹くなど急成長、ホープとして育成を受ける。大学卒業後はNTTコミュニケーションズに一般入社し、レフリーを「兼業」。2年後から社内異動により、レフリー業が業務の一環となり、現在に至る。

RCCA(Rugby Community Club Association)が伝えたいものは、たくさんあって一言ではちょっと表しにくい。だけど、そのメンバー一人ひとりのストーリーを紐解けば、コミュニティーの持つ空気や、バックグラウンドが見えてくるかも。彼らはどこから来たんだろう。何を目指しているんだろう。佑さんは大学入学時に選手からレフリーに立場を変えてフィールドに立ってきました。試合のMCの目から、この競技はどのように見えているでしょう。


2021年の夏には、中学生たちの夏合宿の練習試合でアフターマッチ ファンクションをサポートしてくださいました。ラグビーには、試合が終わって始まるものがあると。

私自身、とても貴重な体験になりました。自分は5歳から高校までプレーしました。高校2年時にケガをして、3回の手術で約1年間、プレーができない時間がありました。縁と周りの方のおかげで大学でレフリーとして活動をさせてもらうことができました。夏に中学生たちに話したように、ラグビーには、選手同士だけではなく、関わる人を大切にする文化があると感じています。それは日本でも、アジアでも世界でも変わらない一貫したものです。

私は今、筑波の大学院で学んでいて、他の競技の方と接していて思うのは、ここまで共通の価値観をみんなで大事にしている競技ってないんじゃないかなと。院の授業で先生がみんなに向けて話す中でも、そのようにラグビーの事例が取り上げられたことがありました。

大学院で学ぼうと思ったのは?

2021年からスポーツマネジメントを勉強しています。一つは、自分が今、現場にいられることに生きる知識や経験が欲しいと思ったから。もう一つは、ラグビー以外の世界に触れてみたいと思ったからでした。同じ研究室には他競技の国代表選手がいたり、審判としてトップの方がいたり。とても刺激的です。ラグビーって、意外に恵まれているんだなって思うことがあります。サッカーや野球はずっと先を行っているけれどそれ以外の他競技では、近年変わり続けていて、関わる人の環境や文化はそれなりのものを積み上げつつあるんだなと。オリンピックでは大きく取り上げられる選手たちでも、いわゆるプロ選手ではない状況で競技に向き合っている。

レフリーの目線。

そのラグビーの中で、レフリーという立場は独特ですね。競技の特徴とも言えるリスペクトの対象になる。笛を吹いていて印象深い試合ってありますか。

一つを取り上げるのは難しいけれど、大学4年の時、2014年に初めて吹いた大阪朝高校と光泉高校。自分が選手としては行けなかった花園に、レフリーとして立つんだという目標を持って学生時代を過ごしていたので。花園1回戦、第3グラウンドでした。

2年生の時に、長崎南山は花園に出場していますよね。

はい。ただ自分は、ケガでフィールドには立てなかったんです。なので花園はレフリーとして初めに掲げた目標でした。大学時代はレフリーとして選手時代以上に多くのことを学びました。花園の向こうには世界の舞台がありました。

2017年、史上最年少で日本ラグビー協会の公認レフリーになりますね。2019年にはワールドカップのアシスタントレフリーリザーブにも入った。学生時代からトップの育成を受けたのですねね。当時のワールドラグビー(国際統括機関)のレフリーマネージャーにも教えを乞う機会があった。

アライン・ローランドですね。2007年ワールドカップの決勝を吹いた方。とても幸運でした。彼に会って、世界が見えた。コーチングはそれまで選手として、レフリーとして受けてきたものとは違うものでした。どちらかというとそれまでは指示をされて育ちました。アラインはまず、やってみてどうだった? 次はどうしたい? と尋ねてくる。悪いことよりも、まずできていることやチャレンジを認めてくれる。その上で自分で考えることを促すコーチングだと感じました。自分自身で成長していく考え方や、道筋を示してくれました。

レフリーとしての目標は

1試合1試合で自身の最高のパフォーマンスを出すこと。前季リーグワンを吹いて思ったのは、このレベルで100試合を吹いている方て、すごいなと。自分もそのレベルに追いついていきたい。そこにチャレンジできるのはそう長い期間ではないと思う。1年1年が勝負です。そこは選手と同じです。実は、2年ほど前に手術をしました。選手時代のケガが影響して、どうしてもパフォーマンスが上がらなかった。2020年に感染症の影響でリーグが途中で終わってしまった時に、今がチャンスだと思い手術しました。

高校2年の時のケガについて聞いてもいいですか。

高2になる直前の選抜大会予選。福岡の九電香椎グラウンドでした。タックルしたら相手に乗られた上にひねってしまった。半月板損傷と、軟骨の陥没骨折。初めて手術をした時に先生(医師)に、現役は厳しいかも、と言われました。でも高3まではなんとかやると決めました。結局試合ができたのは高3の菅平でした。最終日に報徳とやるのが定期戦のようになっていたので、そこを目標にと言っていた。ところがその一つ前の試合で南山(母校)がボッコボコにやられて。その試合中に監督から「いくぞ」と。驚きましたが、久々のラグビーがめっ…ちゃ楽しかったのを覚えています。でも結局、花園へは行けませんでした。

高校時代に1年に3回手術したと言いましたが、実はその当時はできなかった手術が、2020年の技術ではできるようになっていて。今回は軟骨を移植しました。それまでは不意にヒザが外れてしまうこともあったのですが、今は全然違います。ありがたいですね。

外からの目線もヒントに

RCCAとの関わりは。

一聡さん(高橋代表理事)が明治のコーチに入った時、自分は学生で1年生。選手とはまた違った距離感で接してくれて、よかった。色々勉強させていただいています(笑)。その延長で、RCCAの活動についても共有してもらって。夏のアフターマッチは、SNSで一聡さんが発信されているのをみて、「いま、海外にいますが、参加します」って連絡したんです。そしたら「前日の12時(夜)に来られる?」と。ええ、返事は、はいかイエスしかないですから(笑)。

中学1年生の、それも練習試合にトップレフリーが足を運んでくれるお気持ち、関係者には本当にありがたいことです。

RCCAの皆さんの活動には共感していましたし、僕が参加することでラグビーが好きになる子が増えたらいいなという、軽い気持ちなんです。このコロナで僕らも試合がなくなったり、同じ思いをしてきたでしょう。だから、一緒にやりたいなと思った。

現場には、中学の試合を吹いているレフリーもいらして、すごく感激されていました。中学生たちも「あれ?この人見たことある…」と(笑)。菅平の小さなグラウンドにわくわく感を作ってくださった。いい影響が、今も残っているようです。

そう言っていただくのは本当にありがたいし、行ってよかったなって今、また思えます。どんなカテゴリーでも、現場には日常があって、当たり前のこと、同じことの繰り返しですよね。そこに新しい人が交じって、違う角度から話すことで「ラグビーって、こう見られているのか」って気付けたりする。中学生やミニラグビーの時に大切なことって何だろうって考えたら、その競技ごとの文化は外せない要素です。ラグビーにとって、アフターマッチの時間は、特にこの2、3年は感染対策で削られて、機会がなくなっていたんですね。それを実感しました。トップレベルでも、以前のように、関わる人全体でラグビーを楽しめる世の中に早く戻ってほしいですよね。

ラグビーって、密そのものというか。みんなでワイワイできることを大事にする。大学院でも講義でそんな話をされたことがあって、ラグビーのレフリーとして、自分も少し誇りに思うことがあったんです。おそらく、ラグビーを外から見た人が「いいな」って思うのってそんな面なんでしょうね。同じように、RCCAの活動に参加すると、自分たちの周りに当たり前にあるものを再認識できる。いいきっかけになるなって感じています。

関わる側の人は「一緒にできたらいいな」くらいの気持ちでいいから、どんどん仲間に加わってもらうといい。それでラグビーの「中の人」から、こんなにうれしかったよって伝わると、関わった人自身も想像以上にうれしかったりする。外からの目線、中からの反応。伝えあって、みんなでうれしいことを膨らませられたらいいな。RCCAの夏合宿に参加して、そんなことを思いました。


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