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「イッソウさん、たすくさんが話してくれたこと」菅平アフターマッチファンクション (スピンオフ)#2
2022.9.14
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7月24日に菅平で開催したジュニアラグビー(中学生の12人制ラグビー)のアフター マッチ ファンクション(以下AMF)。RCCAから参加したイッソウさん(代表理事)、メンバーのたすくさんが、中学生に伝えてくれたことを紹介します。

高校3年までプレーヤーとして活躍していた たすくさんは、ケガで選手からレフリーに針路を変え、そのバイタリティーでレフリーの道を今も走り続けています。

 

僕は高校2年の5月に大きなケガをして、1年間で右ヒザを3回手術しました。3年生の秋、花園予選にはギリギリで復帰を果たしました。残念ながら、決勝で負けてしまって、花園(全国大会)出場はなりませんでした。

進学は明治大学と決まっていたのですが、ヒザの状態から、プレーが続けられないことはわかっていました。すると高校(長崎南山)の先生(城野昌和先生)からの薦めもあり、レフリーも務める学生スタッフとして部に加えてもらえることになりました。

僕の場合は5歳からラグビーをやってきて、その後、高校までのいろんな場面で、かつての仲間と戦ったり、また一緒になったりしてきました。これは、今後、皆さんの身の上にも起きることだと思います。レフリーとなってからも似たようなことはあって、たとえば僕は先週、海外で行われた韓国vs香港の試合を吹きました(7月9日)。

試合後に韓国の人と話していると、お互いが知っている人の名前がたくさん挙がります。韓国と日本のラグビーは結びつきが強いから、日本にいる韓国人選手、指導者、朝鮮学校関係などでつながる。香港の選手も、「アジア大会の時にも吹いてくれたね」と僕のことを覚えていて、声をかけてくれました。

国をまたいだレフリーとチームの関係ですから、必ずしもいい印象ばかりではないだろうに、わざわざ声をかけてくれて感謝の気持ちを示してくれるのは本当にありがたいなと感じます。チーム同士だけではなくて、マッチオフィシャルや協会の人にもリスペクトを表せるのって素晴らしいなと感じます。韓国や香港は、今では日本とは競技力が少し開いてしまったけれど、文化的なことはしっかり根付いているんだと思わされました。自分も目を開かされる思いがしました。

今、僕は筑波の大学院に通っていて、他の競技の人と接する機会が多いんです。そこで実感するのは、ラグビーはやっぱり特徴あるスポーツなんだなってこと。たとえば、ラグビーには「五つのコアバリュー」っていうのがあるのを聞いたこと、ありますか。

情熱、結束、品位、規律、尊重ですね。で、ラグビーをやっている人に聞くと、だいたいの人がその五つを頭に思い浮かべることができるんです。これって、他の競技においてはあんまりないことで。ラグビーの人たちは、体と闘志をぶつけ合いながらも、共通の「大切なもの」のために戦っている。

だから、試合の後はすぐに友達になれるのかもしれません。みんな、ゲームの後も含めて、ラグビーをずっと楽しんでくださいね。

川原 佑(かわはら・たすく)
1992年生まれ、29歳。日本ラグビー協会A級レフリー。2021年リーグワンでは準決勝を担当。2019年ワールドカップ日本大会ではリザーブアシスタント・レフリーを務めたトップレフリー。テストマッチの笛も吹く。5歳からラグビーを始めて高校3年までプレー(長崎中央ラグビースクール→長崎ラグビースクール→長崎南山高校)。明治大学 入学後にレフリーのキャリアを歩み始め、学生時代に花園2回戦の笛を吹くなど急成長、ホープとして育成を受ける。大学卒業後はNTTコミュニケーションズに一般入社し、レフリーを「兼業」。2年後から社内異動により、レフリー業が業務の一環となり、現在に至る。