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堀之内司(RCCA理事)「菅平はポテンシャルに溢れてる。面白い人がさらに集う予感がする。」
〜コミュニティの背景がわかる、RCCAメンバーのストーリー〜
2022.5.19
INTERVIEW

堀之内司(ほりのうち・つかさ)
ディレクター。「流石創造集団」取締役。NPO法人Farmer’s Market Association監査役、1968年2月16日生まれ。鹿児島県出身。鹿児島工業高校卒業後、デザインを学びに東京へ。専門学校桑沢デザイン研究所の夜間部に通学しながら「IDÉE」の倉庫でアルバイトを始めたことから黒﨑輝男氏をサポートするに至る。氏と手がけたプロジェクトはあまたあり、その独創性と先進性を実務面ともの作りで支えてきた。自由大学、IKI-BA 、みどり荘、SPUTNIK AUCTION、表参道COMMUNE、TAKIGAHARA Farm/Craft & Stay、北陸古民家再生機構など

RCCA(Rugby Culture Club Association)が伝えたいものは、たくさんあって一言ではちょっと表しにくい。だけど、そのメンバー一人ひとりのストーリーを紐解けば、コミュニティーの持つ空気や、バックグラウンドが見えてくるかも。彼らはどこから来たんだろう。何を目指しているんだろう。第5回は理事の堀之内 司さんの登場です。

堀之内さんは、黒﨑さん(「IDÉE」創始者、流石創造集団代表取締役)のプロジェクトを支え推し進めてきた黒子役ですね。黒﨑さんとはどのように出会ったのですか。

「ある先輩の紹介で、広尾にあったIDÉEの倉庫でアルバイトを始めたのがきっかけでした。倉庫と言っても保管する場所ではなくて、そこはまさに作る場所でした。倉庫の中にはアイアン工房も併設され自ら溶接を覚えながら、東京中の鉄工所、木工所、塗装工場、椅子張りなどの小さな町工場で製作される様々なパーツを自社の車で回収し、それらを組み立て製品として完成させる。それを自分たちでお客様の所に納品し設置するまで行っていました。僕は工業高校の出身だったので、手先は器用な方だった。働く、というより、大人が集まって車をいじったり、ラジコンやモデルガンを組み立てるような、まるでモノづくりで遊んでいるような自由な雰囲気に驚きました。鉄道マニアのサーファー、もと暴走族やクラシックカーマニア、レーサーなど個性的な先輩たちが居てすごく刺激を受けました。国内外のデザイナーのオリジナルの家具を作り、世の中に発信するのがIDÉEの本業でした。かつてはヨーロッパのアンティークショップだった黒崎さんが、自分達でオリジナル家具を作る会社になった。それがIDÉEだったのですが、当時の私は家具の知識など何も知りませんでした」

たまたま出会ったバイト先が、東京カルチャーのど真ん中だった。ものづくりの堀之内さんが、空間づくり、場づくりのディレクターになった。

「骨董通りの小さなSHOPと倉庫だったIDÉEは家具から建築、空間、そしてランドスケープとプロデュースする幅はどんどん広がっていきました。IDÉEで働いたことのある人って、延べで2000人くらい居ると思う。それぞれの分野で今も活躍している。職人やデザイナー、エディターになる人も多い中で、僕はこんな風になっちゃった。一聡(高橋·RCCA代表理事)とは、彼の店を作るって時に出会った」

きっと上京した時とは全然違う方向に…·。いったい自分は何をしてるんだろう? なんて、ふと思うことはなかったですか。

「今も毎日そう思ってますよ。あははは。何やってんだろう本当に。近年で一番そう思ったのは、苔庭づくりですね」

苔ですか?

「ええ苔です。北陸の小松(石川県)に自分達の理想の住まいを作ろうというプロジェクトが立ち上がった。限界集落と呼ばれる地区に、地元と融合した形でコミュニティを作っていきたいと始まりました。そのきっかけは、訪れた近くの日用町という集落がちょっと面白くて。集落の中心に古―い神社があるんだけど、周囲に苔が密生してる。苔と神社の周りに集落がある。そして民家どうしも苔でつながっている。垣はなくて、互い軒先を眺めながら周遊できるような場所。この環境はいいねってなり、同じ小松市内の滝ヶ原という限界集落に農業を中心とした理想のコミュニティーを作ることになった。それがTAKIGAHARA FARM。もともと小松市の姉妹都市であったスエーデン ストックホルムから北へ600kmのところにあるウメオ市にコケ庭作ろう! って話にもひろがり、ウメオの国定公園の中で『ここに庭作ってみよう』ってなっちゃった。苔を採取しに山に入り、いい感じの石を探しに川に浸かり…。北欧では苔はそこらじゅうに生えていてトナカイの餌になるんだけど、育てたり、愛でたりって文化は全然ないんですよ。そんな中、黙々と僕らは苔庭を…苔庭を10日間ぐらいかけて作ってたんすよ、白夜の北欧で。思いましたよね。あー、俺は何でこんなところで、こんなことやってんだろうって」

石川県小松市内の苔庭

菅平がこれから生み出すもの

滝ヶ原でニワトリを飼うのに、番犬として犬が必要になった。そこで、旧知の一聡さんに声がかかった。北陸からの帰りに、菅平に寄ることになった。もともとは一聡さん、村松さん(歩·RCCA副理事)が菅平に、ラグビーのオープンな拠点、アフターマッチ·ファンクションのようなスペースを作りたいと考えていたんですね。

「僕らの事業はだいたいそうなのですが、まず儲かるか、ではなく、面白そうだ、確かにやる意義があるぞってところから入る。それに後から賛同者とお金が集まってきてくれる順」

いろんな地区のまちおこしや場づくりを手がけてきた堀之内さんに、菅平はどう映りますか。

「可能性しかないと思いました。ラグビーの聖地としてブランドがあって、すでに人の流れもある。ただ、地元から浮いてしまった賑わいを作ってもつまらないと思っています。自分達の建てたいものを勝手に持ち込んで、例えばアウトレット·モールで客寄せして、みたいなことはしたくない」

どんなイメージがあるのでしょう。

「例えば小松市の滝ヶ原で言うと…。僕ら、最初は入植者って呼ばれてたんですよ。ニュウショクシャ。確かに完全によそ者だし、得体が知れないですよね。青山でスーパーやってる人らしい、とか言われてました。

それが、いつからか、僕らが作ったカフェに、早朝から地元のおじいちゃん、おばあちゃんが座って井戸端会議するのが日常になった。同じスペースで違う時間には、移住してきた外国人がパーティーを始めたり。ある女の子は『うちの孫の嫁に』っておばあちゃんにお願いされていたり。そういうのが面白い。新しい何かが起きる可能性がある。

集落には賑わいが生まれて、移り住んだ人たちには、新しい働き方や、生き方を考えさせてくれるような場所」

菅平の場合はどんな始まりがあるのでしょうか。

「地元の皆さんと作るその場所を訪れた人が、また来たいな、少しの間住んでみたいな、と思ってもらえたらいいな。働き方を変えてここで住みたいなと思ってくれたらうれしい。

菅平はラグビーだけのまちではない。裏手の山でフィールドワークができる、スキーもできる。ちょっと山を降りれば町や温泉にもいける。

ラグビーはもちろん、こういう価値をつないで、面白い人が点在し始めると、エリア全体が熱を帯びてくるんです。するとさらに面白い人が集まってくる。これは、僕らが滝ヶ原で実践、経験してきたことで、ある程度想像がつく。

菅平の場合は、そうしたほぼ手付かずの価値がたくさん転がっている上に、すでにラグビーで人の流れまでできている。可能性しかないです」

菅平には毎夏70万人のラグビー関係者が入るそうですね

「そのうち選手などチーム関係者が35万。残りの35万は、応援や見学などの保護者、OB OGたち。その人たちはこの地を踏みながら、泊まるところも、十分に食事を楽しむところも知らないままグラウンドからそのまま山を降りてしまっている。上田などのビジネスホテルで泊まっているケースが少なくないと聞いてます。これはあまりにもったいない。訪れる方にとっても不便感は本来強いはず。慣れてしまっているんですね」

30年前、IDÉEの工房にて

閉じたユートピアを作るつもりはない。

ラグビーにおいても、手付かずの面はあると感じます。芝のグラウンド、ラグビーボール、ラグビー選手や関係者が溢れているのに。

「僕はラグビーから見ればオフシーズンの菅平に行っただけなので、もっと土地のことを知りたいと思っています。確かに、僕らのようにごく最近、強烈にラグビーの文化を浴びた人間にとっては、濃密とまでは感じにくいかもしれない。ただ、これだけラグビーが長く続いているところに何もないはずもない、ですよね。特にラグビー合宿地を一から作り上げて、振興に携わってこられた方々には、並々ならぬ努力や思いがあるはず。ラグビー文化のマインドはきっとある。それをどう広げていくか」

堀之内さんもスポーツは得意そうですね。

「私は高校までバスケットをしてました。ラグビーは、知れば知るほど興味深いスポーツだと感じます。ホーム&アウェーでもない。試合中は、ある意味両チーム共通した志のもとにぶつかっていて、試合以外では仲間。ラグビーへの愛情を共有している。……これはね、特殊ですよ。他にそういう競技を僕は知らない。元々、同じチームの中にもいろんな奴がいるのがまた面白いよね。個性やチームを超えて尊重しあう、助け合うってところが、今の時代に必要だと思う」

(そばにいた高橋一聡氏が入って)アメリカとイギリスでは戦争の仕方が違う、っていうよね。アメリカは戦略、戦術ありきで、布陣してポンと号砲を鳴らす。戦果を見届けて、またリセット。イギリスは一人ひとりの人間を基本に置いている。ラグビーはイギリス寄りの考え方がベースにある。

「企業もそうだよね。課長、部長、社長、会長…。命令系統が確立していて、それぞれが分(ぶん)をまっとうする。責任は明確だけれど硬直性もある。たとえば会議でいいアイデアを持っていても、役職がなければ『自分の立場からは言えません』みたいな抑えがかかってしまう。僕らは、もっと人の個性や、人が集う場を重視する。経験のない若いアルバイトだろうとアイデアがあったら出してもらって、よければ採用してトライ&エラーで積み上げていく。それを続けていく」

(一聡氏)もちろん、それぞれに長所短所があるのは前提だよね。合理性ではアメリカ型にかなわないことも多い。

「実際に彼らは、そのやり方で大国として成功しているわけだからね。これは、合う合わないもある。そのやり方はもう限界なのでは? という見方もある。それを超えていこう、変えていこう、と思っている。僕らは僕らだけで、楽しくやっていこうぜ、みたいな小さなユートピアを作りたいわけじゃない。意義のあることを充実感を持ちながら進めて、結果として幸せな人が増えていく、ひっくり返っていく。若い人たちにもそう言う感覚を持っている人はいるけれど、とても少ない。実は柔軟でもない。いい学校、大企業に入ることが幸せという画一的な教育をされている人が多い」

寿命も伸びて、社会保障制度が揺らいで、その基準が変わってきている中では…

「ある大学教授曰く、野球で言うと三遊間をカバーできる人材がいない。サードとショートがお見合いしてヒットになるようなことが、今はすごく多いと。例えばサードが『ショートのあいつは、こういう打球は苦手なはず』『俺が取る』と境界線を超えていけるか。そういうことの根本に気づける場が、日本中にたくさんあれば、ちょっとずつ、ちょっとずつ変わっていけるのかなと。そういう可能性があることを、次の世代に伝えていけたら。ひっくり返していけると思っています。

僕もIDÉE入りたての二十代、三十代、何にも考えていなかったけれど、自分が子を持つようになって、その子が二十歳に、となると、この先三十年くらいは自分達の世代の責任だなと思えてきて。何か変わるきっかけ、それさえも伝えてこれていない。たとえば滝ケ原や菅平に、僕らなりに、いい場を作れたら。今まだ、僕らにもできることがある、と思っています」


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