岸岡智樹(きしおか・ともき)
クボタスピアーズ船橋・東京ベイに所属する現役選手。SO。1997年9月22日生まれ。174㌢、84㌔。大阪府出身。枚方ラグビースクール→蹉跎中→東海大仰星高→早大→スピアーズ。社会人3年目の社員選手。U20日本代表、ジュニア・ジャパン選出。学生時代からSNSをはじめネットでの発信を継続している。社会人となってからは、小中学生たちを対象にした対面のセッションを各地で行ない(今年も6月から開催!)、特製ラグビーノートを販売するなど、積極的な活動が注目される。フィールドにおいてもリーグワン上位チームの司令塔を務める。
RCCA(Rugby Community Club Association)が伝えたいものは、たくさんあって一言ではちょっと表しにくい。だけど、そのメンバー一人ひとりのストーリーを紐解けば、コミュニティーの持つ空気や、バックグラウンドが見えてくるかも。彼らはどこから来たんだろう。何を目指しているんだろう。今回は今をときめく現役トップ選手・岸岡智樹さんの登場です。
「自分が小中学生の時に、そんなものがあったらなーと思っていたことが第一です。かつては誰もやっている人がいなかったので。もう一つは、同じ日本の中でも地域間で情報の格差があるのを感じたことでした。ラグビー一つとっても、地方の子と、関東関西、九州都心部の子では、入ってくる情報がまったく違う。情報だけでも豊かになれば、もっと日本中でラグビーを続ける子が増えるベースになるんじゃないかと」
「初めは好評でした。でも、そのうち周りの選手も同じように発信をするようになりました。リアクションが薄くなったというよりも自分自身、他と同じは面白くないと感じた。差別化したかった。ふと気づいたのは発信を継続する、という単純なことでした。界隈では多くのラグビー企画が立ち上がるけれど、みんな意外と続いていない。続けることこそが僕の強みになるのではと。皆さんからのリアクション、コメントも、自分のコンテンツを磨く材料になりました」
「結果的に、そうなりました。というのも、初めは僕自身もフェイスtoフェイスのイベントは想定していなかったんです。オンラインで質を上げていくのだろうなと。会社員と選手の二足のわらじでやらなきゃいけないと思っていたし、3年くらいまでは、そもそも個人で使える休みがあるとは想定していなかった。でも、始めてみて、時間はなんとか作れるなと思った。もう一つ、変わってきたことがありまして」
「もともとオンラインでやろうと思った理由の一つは、それなら地域に関係なく情報が配れると思ったからでした。地方の子だってネットさえ繋がれば、僕の表し方で情報が届けられると思った。でも、実際は違うんですね。僕がどれだけ発信したとしても、受け手が情報を取りにきてくれないと、やっぱり届かないんです。
例えば、選手のSNSをフォローしたり、YouTubeのスキル動画を見たりしている子は、ラグビーが盛んな地域に多いんです。発信を始めた頃は、リアクションがあること自体が嬉しかったし、結果として跳ね返ってくる数字も励みになりました。だけど、よく分析するとそれは都市部の限られた地域の人がほとんどだった。もともと多くの情報に触れている人たちだったんです。
僕が情報を届けたい、と思っている地域の子は、そもそも日常的にラグビーの情報を求める習慣がない。地域が違えば、ラグビーに対する温度感にも差があるんです。卵が先が鶏が先か。結局、自分が届けたいと思っている子たちに、僕の発信は届かない。
そんなタイミングで、僕以外にもオンラインで発信をする選手が増えた。それなら、直接会いにいくしかない! と思いました。それは、誰もやっていなかった」
「格差解消のきっかけにと思い動きましたが、自分一人の力は非常に小さいことを実感しました。ただ、収穫もあります。スポーツ全体の課題かもしれませんが、ラグビーは地域格差の大きな競技です。それは花園(全国高校大会)で大差の試合を見れば、多くの人が感じていることだと思います。だけど、その実態を認識している人は少ないと思う。実際、それぞれの土地で指導者や子供たち、協会スタッフの皆さんと接する中で感じ取れたことは、自分にとって大きな経験でした。全国でラグビーを担っている皆さんの環境は、土地ごと、本当にさまざまです。何をするにも地域ごとに施策を考えていくべきだと感じました」
「参加者の側に立って考えました。2年目つまり、2回目のラグビー教室に来てくれる人にどんな魅力を感じてもらえるか。0から1を作ったのだから、次は1を2にして届けたい。単純に言えば練習を(1日から)2倍にする。2日になるんだったら、宿泊という要素も入れたらどうかと。ラグビーって、プレー場面だけではなくて、グラウンド外で変わる、成長するスポーツなんですよね。人が伸びる場所ってどこにあるかわからないから」
「昨年、日帰りのラグビー教室で印象的なことがありました。福島県でのイベントの後だったんですが、スタッフが後片付けをしていて、僕も手が空いたので、ほうきで掃除をしてたんですね。そしたら、会場に残っていた参加者の子どもたちが何人か寄ってきてくれて『岸岡さんがやるなら、自分達も手伝っていいですか』って、みんなで後片付けをしたんです。これ、ありそうで、ないことじゃないかなーと思うんです。彼らも、保護者の方たちも、もちろん僕も何かいいものを共有できた、教えてもらった気がしました。そういう場ってどこにあるか分からない。だから今、準備は大変だけれどキャンプもすごく楽しみです」
「核心はそれです。実際、環境は大きいって思う。所属したラグビー部がすごく強かったり、熱心な監督がいたり。反対に、地方だったら、親御さんに送り迎えしてもらえるかどうかとか、人数が揃わないとか、そもそもラグビー部を自分で作らなくちゃいけないとか…。小中学生、高校生にとっては、本人一人ではどうにも変えられないものもある。そんな障壁がもしかつての自分にあったら、どうだっただろうって。ラグビー、続けていなかったかもしれない。それでも思いとどまれるくらいに、ラグビーが楽しいと思ってほしい。そのきっかけになれないかなと」
「そうやっていきたいと思っています。今は、教室で同じ土地に行けるのは1年に1回。それで足りないなら2回にできないか、その場所に岸岡アカデミーのようなものができれば最高です。もちろんリソースの問題はあります。僕一人では何もできません。拠点ごとにリーダーのコーチを置く体制はどうかとか、知恵を絞ってみんなで動けないかと思っています。去年の経験で分かったのは、各地の皆さんに情報を届けるのはすごく大変だ、ということ。ただそれぞれ地域の中の結びつきはすごく強いから、いったん誰かにリーチできれば、それが口コミで広がる。最初に『これをやろう』と手を挙げる人がいれば、すごく応援してくれることも知りました」
「それも、同じ場所には1年に一度しか行けないっていう課題から出てきたものです。次会える時まで、ラグビーに対する気持ちを繋ぎ止めたい。僕からダイレクトメッセージを定期的に送るとかも考えたんですが、あまりにリソースが足りない。現実的じゃない。それなら記憶に残るものがいいと思った。使いながら、自分で価値を高めていけるものはと考えていて、自分もつけていたラグビーノートを思い出したんです。
ラグビーノートはグラウンドと机を結びつけてくれる唯一のもの。僕自身、一番うまくなったのって、その二つがリンクしたときだった。僕の場合はごく普通のノートで、個人のことを書き留めていました。これはすごくいいツールになるって、自覚的に取り組んだのは大学に入る頃から」
「文房具って、受け取る時点でちょっとワクワクするじゃないですか。1年後に会った時に、その1年分のノートを見せてくれる子がもしいたら、すごくうれしいだろうなと想像したり。それが何年も続いて、ノートが何冊も積み上がっていったら、本人の財産ですよね」
「オンラインなら届けられる、と思っていたところから一周回って、僕の今の答えは、とにかく現地に足を運ぶことです。これは他に誰もやってないこと。そこで見えてくることがあれば、また前に進むだけですね」
2022年も開催決定!「岸岡智樹のラグビー教室」。初回「教室」は 6/4@栃木県、いよいよ始まる「キャンプ」は6/18@大阪
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