TOPICトピック

高橋一聡「やりたいのは、ラグビーが教えてくれたこと。」
〜コミュニティの背景がわかる、RCCAメンバーのストーリー〜
2022.1.28
INTERVIEW

高橋一聡(たかはし・いっそう)
一般社団法人Rugby Community Club Association 代表理事、一般社団法人Do One Good代表理事、株式会社イズム 代表取締役、株式会社ガシット 取締役
1971年4月18日生まれ。東京都出身。國學院久我山高校-明治大学-伊勢丹。伊勢丹退社後、32歳で「動物」の世界へ。グルーミング、トリミングを学ぶためアメリカに留学。以降、動物愛護に関わるプロジェクトを立ち上げ積極的に活動する。ラグビーでは選手として大学選手権優勝2度(1991、1993年度)。ポジションはNO8。大学時代の身長体重は184㌢、95㌔。

RCCA(Rugby Community Club Association)が伝えたいものは、たくさんあって一言ではちょっと表しにくい。だけど、そのメンバー一人ひとりのストーリーを紐解けば、コミュニティーの持つ空気や、バックグラウンドが見えてくるかも。彼らはどこから来たんだろう。何を目指しているんだろう。第1回は代表理事の高橋一聡さんに聞きました。

イッソウさんの愛称で親しまれるリーダーは、犬や猫を愛する人、そして楕円球の世界では知る人ぞ知る存在です。まずは簡単にラグビーマンとしてのイッソウさんをご紹介。

高校、大学、社会人とトップシーンで活躍したイッソウさんは、大学選手権優勝を2度も経験するNO8(エースポジションの一つです)でした。小さな頃からさまざまなスポーツに親しんで、野球小僧から高校入学を機にラグビーに転向。めきめき頭角を表します。中3の冬、続けるはずだった野球でのケガの手術で病院にいたいっそうさん、NHKで映った高校ラグビーの東京決勝に目を奪われます。

「そこで久我山が勝って、全国大会へ。ラグビーもいいなと思いつつ勉強していたのですが、その久我山が全国優勝した」

いっそう少年のラグビーライフは、この時始まりました。

「バスケット(中学の部活)でオフェンスのファウルを取られるのは自分くらいでした。ボールを持って人に当たれるなんて、楽しみでしょうがなかった」(ラグビーマガジン1994年5月号『選手秘話』より)

ラグビー選手としてのイッソウさんがどんな人だったか。大学時代のエピソードが象徴的です。

3年生の時、ケガに苦しんでいたイッソウさんは年間3試合しか出られませんでしたが、そのうち2試合はシーズンのメインイベントでした。どちらも旧国立競技場の6万スタジアムで行なわれた早明戦と、法政戦でした。レギュラー争いをしていた天野選手(義久)から、ここぞの舞台で先発を奪った格好になります。

「僕は天野のプレーが好きだった。自分にはないものがあったので」(引用/同上)。

それぞれの選手に個性があって、みんな懸命にその武器を磨いている。でも、最後に出られるのが誰かは、わからない。かわいい後輩とともにそんな経験をしたイッソウさんは、4年になり、自分のプレースタイルを貫く覚悟で過ごしたそうです。またケガを抱えても、別のライバルと競り合っても。「俺は俺のやり方をとことん。それで使われないなら、仕方ないよね」

4年時、イッソウさんはレギュラーとして大学日本一に輝きました。

ラグビーに人を巻き込んで

社会人選手としても活躍したイッソウさんは、31歳で現役引退し、ほどなく会社も退職して、今に続く道へと歩みを進めてきました。

ここからは、イッソウさんの言葉で、RCCAをつくったいきさつや、めざすところをお話ししてもらいます。

RCCAができたきっかけは、大きく二つ、あったと思います。

一つは僕が漠然と、これまで色々体験してきて感じてたこと。ラグビーのコミュニティって、もっと社会に貢献できるんじゃないかなって。平たくいうと、僕らオジサンたちみんなで、周りにいいことできるんじゃないかと。

昔、ラグビーを一緒にやってたオジサン同士だけで酒飲んでるんじゃなく、その家族も彼女も奥さんも子供たちも巻き込んで、一緒に楽しめる場をつくれたらと。

2019年に青山で開催したポップアップイベント「TOKYO RUGBY CLUB」は、そんな思いでみんなで作った場でした。ゲームの後の家族やファンがいる中に、自然に選手が加わって時間を楽しんでいる。海外クラブのアフターマッチ・ファンクション(試合後の交歓会)に見るような光景を再現できたと思っています。

あんな素敵な空間を、ずっと続く場にできないかな。RCCAの発想は、そこから生まれました。

菅平という発見

ラグビーに世話になったオジサンが外向きに発信をして世の中の役に立つ。そのことがラグビーの良さを伝えていくことにもなる。

RCCAの存在意義が見えてきたところで、世の中がコロナ感染(新型コロナウィルス感染症)に覆われました。いろんなところから聞こえてきたのが、菅平の窮状でした。2020年、次々と合宿が中止になって、宿の方々が困っていると。

長野県菅平高原はラグビー夏合宿のメッカで、全国からあらゆるカテゴリーのチームが集まります。僕らはみんな中学や高校からお世話になってきたあの場所、調べてみると非常にポテンシャルに溢れた地でした。

それなら、ここをRCCAの一つの拠点にできないかと。

2019のTOKYO RUGBY CLUBは東京だけのものだったけど、この菅平は一歩進んで、全国の人々と何かを共有できる場にしようと。

これがRCCAが存在意義をもらった、もう一つのきっかけでした。菅平を、ほっとけないよねと。

まだまだあった「ほっとけない」

さらに仲間が増えたり、話す機会が増えると、もっと情報が入ってきます。その中にいくつか、やはり「ほっておけない」がありました。それは、ケガでプレーができなくなったり、家の事情で部活動を辞めなきゃいけない中高生とか。ヤングケアラーという言葉が改めて、頭に心に入ってきました。

僕らとしては、「知ったからには、やれることはやろう」それしかありません。

どんなふうに制度を作っていくかについては、あしなが育英会(一般財団法人)の方にすごくお世話になり、いろいろな知識を勉強させてもらうことができました。それを踏まえて11月に、要支援者の募集を始めました。(ケトルファンドの概要はこちら

ラグビーのオジサンたち、みんなで何か、「これからの人たち」と関わっていこうよ。

ラグビーのオジサンには結構、高い社会的地位や名誉、あるいは財産を作った人が多い。僕と村松(副理事/歩)は持っていないけれど、彼らがその気になってくれたら未来を大きく変えられるよ。

RCCAは、イッソウさんはじめ、付き合いの長いラグビー仲間でもある村松さんら、楕円球以外の世界で独自の道を歩む理事たちによって創られ、支えられています。この欄では、コミュニティを支えるメンバーの紹介やトーク、セッションなどについてお伝えしていきます。